Let's GO Macintosh!!!


はっきり宣言しよう。
ろこは完全なMacintoshヲタクである。
Macintoshが大好き。いや、尊敬していると言っても過言で無い。
DOSもWindowsもLinuxも使うが、ろこにとって、パソコンと言えばMacintoshである。
と、言うか、世の中の「パソコン」は全てMacintosh、或いはApple社が作る小型コンピュータが魁なのだ。
なぜなら、
「パソコン=PersonalComputer」と言う言葉はApple社が提唱した「造語」だからである。
同様に、PDA(PersonalDigitalAssistant)もAppleの提唱、
GUI(GraphicUserInterface)、LAN(LocajAreaNetwork)もそう、
SCSI(SmallConputerSystemInterface)、WYSWIG(WhatYouSeeWhatYouGet)もそうだ。
昨今では、IEEE1394(iLinkとかFireWireとも呼ばれる)だって、Appleの規格が元ネタである。
そうだ。「デスクトップ(DeskTop)」もAppleの作った言葉だ。
どんどん思い付くぞ。
「アイコン(Icon)」「プルダウンメニュー(PullDownMenu)」「フォルダ(Folder)」「ゴミ箱(Trash)」・・・・・
言葉を作ったからスゴイのではない。「基本思想や概念を形にしたこと」がスゴイのだ。
しかも、
これらの殆どは、1984年に最初のMacintosh「Macintosh128K」が発売された当時に
既に実現されていたテクノロジーなのだ。
InterNet、インターネットは、レーガン大統領が推進した「情報スーパーハイウェイ構想」が
元になっていると言われているが、Macintoshの「小型コンピュータでネットワークを組む」
と言う卓越した発想が無ければ、今の隆盛はあり得なかったのだ。
「パソコンを使う全ての人間はAppleの恩恵に与っている」とまでは言わないが、
少なくともパソコンのハード・ソフトに興味を持ち、魅力を感じて何か意見を述べるならば、
Macintosh(或いはApple)についての認識を持たずしては片手落ちである。
Windows95が発表された当時、「こんなものMacOS'87」じゃん。」と言われた。
当然である。
MicroSoftのビル・ゲイツ氏は「Macを作りたくて」、無理矢理DOS上にWindowsを被せた。
Macのデスクトップには右側にアイコンが並ぶが、Windowsでは左側に並ぶ。
違いを見せつけたかったのだろうが、何故Macが右側にアイコンを並べたかを理解していない所業だ。
簡単に言えば、もしWindowsのアイコンがMac同様に右側にあったとして、
左利きの人が操作をしようとすることを考えてみて欲しい。
どう考えても不自然な動きを強制されることになる。
Windowsの「タスクバー」なるモノは画面の下にあるが、
人間が操作をする上で「下から上にメニューを持ち上げる」と言うのはヘンな動作だ。
ようするにWindowsでは、「机の引出しが手前では無く向こう側にある」ような操作を要求しているのだ。
「スタートボタン」で「終了」するのもヘンだ。
日本語版では、Macの「ゴミ箱」をWindowsは「ごみ箱」に変え、失笑を浴びた。
細かいことを言おう。
MacにもWindowsにもプルダウンメニューに階層がある場合があるが、
Macは2段目の階層にポインタを動かす際のタイミングが多少ヘタでも所定の位置に動かせるが、
Windowsの場合はソフトウェアによってタイミングがマチマチで、失敗が多い。
また、Macのソフトウェアのファイルメニュー等にある「開く」や「保存」は必ず同じ順番であるが、
Windowsでは統一性がまったくと言って良いほど無い。
ちなみにファイルメニューの「開く」はたいてい上から2番目にあることをご存知か。
Windowsを開発した人間は、「何故2番目なのか。」なんて考えたこともないだろう。
MacOSを開発する段階で、いろんな人間に数百万回に渡る操作をさせる実験をして、
使う頻度がもっとも高い「開く」の操作をした場合に、「もっとも失敗が少ないのは2番目だった。」
と言う人間工学的特性の理論を実証した上で、決められた「2番目」なのだ。
これは、すべての操作について言える事柄で、アイコンの左右、メニューバー(タスクバー)の上下、
Windowsが完全にMacを真似るならまだしも、Windowsは「人が使い易い」ことをまったく無視して
開発されたのである。
Windowsユーザーはこう言う。
「Macを真似たことは認めるけどさぁ、慣れれば同じじゃん、慣れれば。」
これは、根本的に違う。
例え操作に「慣れた」としても、人間の脳の中では「不自然な動作を強要されている」事には変わりなく、
コンピュータによって成される仕事を作りあげて行く上での効率は、確実に落ちているのだ。
また、創造的な仕事については、更に顕著にその差は現れる。
人間の脳の能力が100あったとして、「操作の為に使う能力」が、10であるのと50であるのでは、
おのずと「創造」に使える能力に差が生じるのは必然だ。
「もともとMacはグラフィックやMIDIに向いてるからなぁ。。ソフトも豊富だし。。」
間違ってはいないが、正しくは無い。
「向いている」とか「ソフトが豊富」と言うのは、言ってみれば結果なのであって、
人間が創造に使えるエネルギーを存分に発揮できるから、
MacはグラフィックやMIDIに向いており、ソフトが豊富なのだ。
ろこは元々MIDIをやりたくてパソコンを買った。
「MIDIならMacだよ。」と薦められ、Macを買った訳だが、
事情あってWindowsのMIDIシーケンサソフトを使ったときに思ったのは、
「こりゃ、話にならないや。」であった。
MIDIで楽曲を製作すると、マウスでの操作(クリックやドラッグなど)は数万回に及ぶ。
このひとつひとつの操作にMacとWindowsでは雲泥の差があるのだ。
こんなことを試す人はいないだろうが、とある実験によると、
「デスクトップの対角にあるボタンを交互に5000回クリックする操作」をさせると
圧倒的にWindowsは間違いが多く、しかも多くの時間を費やしたと言う。
これはマウスの動作ドライバの出来がまったく違うのが主な原因なのだが、
そんなことよりも、間違いと時間の浪費によって阻害される「イマジネーションの損失」が大きい。
と言うか、致命的である。
ここまで書いてきたことは、MacとWindowsの違いである。
一言で言うと、こんなことだ。
Macintoshは「思想・概念を具現化した、道具として使いやすく設計されたパソコン」であり、
Windowsは「思想・概念が全くなく、道具としてワザと使いにくくMacをマネっこしちゃったモノ」である。
もう一つ、大きな違いがある。
それは、デザインだ。
「Macってオシャレだよね〜。」とかそう言うつもりはない。
確かに、明らかにスタイリッシュだし、可愛い。
工業デザイン的にも、数え切れないほどの賞をとっているのだが、
Macのデザインは既に「工業デザインの基準」と言って良いほどの
権威と言うか水準を維持継続しているのだ。
もともとスチールの箱であったコンピュータを、
白っぽい樹脂のケースに入れた最初のコンピュータもMacintoshなのだ。
ハードウェアとしての操作性を徹底的に追求した機能性も、
他の分野の工業製品に限りなく応用されている。
例えば一時期一世を風靡した「トランスルーセント(スケルトンと言う人がいるが
これは間違いである。スケルトンとは"骨格標本"というような意であり、
中身そのものが露出している、と言うような意味である。)」にしても、
まずiMacがデザイン(特に素材や色使い)の流れを作ったと言える。
デザインの統一性はモデルチェンジをモデルチェンジと感じさせない、
最高のデザイン性と言われたフォルクスワーゲンにも通じた普遍的な機能美、
或いは「飽きの来なさ」があるだろう。
だが、Macのデザインには、そう言った機能的な美しさと言う、
ある程度アカデミックな要素も他に、もう一つの重要なことがある。
それは、人間の感情に訴えるデザインだ。
昔のMacからそうなのだが、iMacを例にとるとわかり易いだろう。
iMacはCRTディスプレイの角度が17度の角度で上を向いている。(ちなみに初代Macも同角度)
これは何を意味するか。
CRTが上を向いていると、実は機能的には問題点が存在する。
それは、見る人の背景(特に照明などの光るもの)が「写りこみ」してしまうことだ。
しかし、Appleはそれにも拘らず角度をつけた。
これには非常に、ある意味もっとも重要な理由がある。
赤ん坊が親を見るとき、当然「見上げる」格好になる。
子犬が飼い主を見るときも同様だ。
Macの「17度」は、使う人間に対して、
「ボクを使っておくれ。ボクはキミのものなんだよ。」
と訴えかけるようにしているのだ。
知らず知らずのうちに、使い手に「使ってあげたい。スイッチを入れてあげたい。」
と思わせるような感情を促すデザインになっているのだ。
そして、これこそMacがMacである所以でもあるのだ。
冒頭でパーソナルコンピュータと言う言葉はAppleが作ったと言った。
パーソナルなコンピュータ、つまりは個人の(それも素人の)ためのコンピュータをAppleは目指した。
それまで一部の学者やマニアの間にのみ使われていたコンピュータを、
一般の「普通の人」に使ってもらおうと意図した、最初のコンピュータだった。
それを目指すには、どんな高性能よりも、利便性よりも、
「キミはボクのもの。ボクはキミのもの。」と心に訴えかけることこそ重要とAppleは考えた。
そう、それこそ個人のコンピュータ、つまり本当のパーソナルコンピュータなのだ。
今日も、ろこのMacは訴えかける。
「ねえ。今日も一緒に遊ぼうよ!」と。
(02.5.30)
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